先輩ママ日記

カオルさんの日記

バックナンバー(第81回)


2003年4月7日(月)
もう限界…

仕事が終わってから寝室の模様替え。ジョ・オーが絶対に窓に近づけないようにした。ひとりですべてやったせいか、月曜日は特に仕事が忙しいせいか、夜になったらぐったり…。なのに、今夜のジョ・オーはなかなか寝ついてくれない。眠ったかな、と思って乳首をそーっと離すと目がパッチリ。なにかと便利だからとなぁなぁとおっぱいをやり続けてきた自分が、欲しがるものがすべて与えてきた自分のやり方がやっぱり悪かったのだろうか?などと考えていたら、ハラハラと涙が止まらなくなってきた。やっぱりもう、“その時"なのだ。



2003年4月8日(火)
ふたりだけの旅

昨日の夜泣いていた私を心配して、昼頃ジョーから電話。「土曜日、断乳を実行しよう。ジョ・オーが泣くときはボクも一緒だからね」。仕事中にチチのことを考えさせてしまって申し訳ないね…。さて、そんな私たち夫婦、来週に1泊2日くらいで短い旅をしようと計画中。それもジョ・オー抜きで。最近ふたりだけの時間が少ないし、すれ違いの生活でケンカも以前より多くなってきたし…。それに、ジョ・オーを連れて行って私が疲れてしまってはリラックス旅行の意味がない。というわけで、ジョーの両親に一日半預けることになった。…どうなることやら。



2003年4月9日(水)
小包みが届くと

日本の母から小包みが届いた。箱の半分以上はジョ・オーのものだ。母の手紙からの抜粋。「早く戦争終わるといいね。チビちゃんも一日一日成長し可愛くなって楽しみでしょう。おいしいものをたくさん食べさせてあげて下さい。味を覚えるときだからね。大切に大切に育ててください。ケガのないよう」。大切に大切に…と繰り返しが胸に響いて、何度も読み返してしまった。こんな遠くに住んでいて申し訳ない。母は、帰ってきたらとか、淋しいとか、思っていても口にしないところが余計にツライ。ジョ・オーの顔をいつでも見せてあげられたら…。



2003年4月10日(木)
心配だけど

旅の行き先はまだ決まっていない。インターネットでいろいろ調べてみる。車で片道3時間くらいまでのところ、自然がいっぱいのところ。調べながら、義母にジョ・オーの世話に関するメモを渡そうか考えていた。ジュースは一日一回までにして下さい、野菜と果物をたくさん食べさせてください等。で、やっぱりやめることにした。彼女だって子育ての経験があるわけだし、私のやり方がベターとは限らないし。気分よく好きなようにやってもらった方がいいに決まってる。食べ物以外のことでも、実はいろいろと心配だけれど…心配しないように努力するのだ。



2003年4月11日(金)
いろいろやっちゃう

どこにでものぼりたがるジョ・オーにGet down, please.(おりてちょうだい)と言いつづけていたら、「ダーン」と真似するようになった。ダウンのつもりらしく、手を下にさげるフリまで付ける。ジョ・オーのはじめて言えた英単語。写真で母のことを指さして「ババ」、私の写真を見れば「ママ!」も言える。ジョーの口にサラダをいっぱい詰めこんで、ナプキンで口を拭いてあげては丸めてポイッ。雑誌のページも破っては丸めてポイッ。今日のお風呂ではやけに私の胸を指差して「パイパイッ!」を連発していた。明日から始まる断乳に感づいているんだろうか。



2003年4月12日(土)
断乳一日目

朝からおっぱいはナシ。「なんで〜?」という顔をしながら泣きベソをかきつつシャツをまくる。昼から三人で公園へ行ってたっぷり遊び、1時間昼寝をしてから夕食をとり、ジョーとお風呂に入る。ちょこちょこやって来てはシャツをまくったけれど、泣きながらもなんとかあきらめてほぼ一日終了。私は胸がパンパンに張りまくり。ジョ・オーを産んでから退院して翌朝の、牛(のチチ)状態を思い出すなぁ。あの時は、まだうまくおっぱいがあげられなくてジョ・オーと一緒に泣いてたんだっけ。おっぱいのはじめも終わりも泣き泣きってことだ。



2003年4月13日(日)
一夜明けて

結局昨日の夜、眠りにつくまで45分間ジョ・オーは泣きっぱなし。泣いている顔を見れば情にほだされてしまうと思い、寝室を暗くしたままずっと抱っこしていた。眠りについて、朝までに1回起きる。今度はジョーが抱っこしてくれたけど、もう火がついたような泣きっぷり。誰かがポリスを呼ぶかもな…と思ったほどだ。私が代わってやっと泣き止み、水を飲ませて絵本を読んであげる。「パイパイにはバイバイね」と説明すると、仕方ないという顔で私の体にぴったりくっついて眠りにおちた。エライね、よくがんばったね、今日もがんばろうね。



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