「無事な出産」だけがゴールではない

私は葛飾赤十字産院という、地域の産科医療の核となる病院に長年勤めていました。リスクの高い人や、危険な状態の人が多く搬送されてくる病院です。

産科医にとって、赤ちゃんが無事に元気に生まれてきて、ママも健康でいることこそが、最終的なゴール――若い頃の私は、そう考えていました。

もちろん、流産してしまったり、ママの子宮内で胎児が亡くなってしまったり、分娩中に赤ちゃんが命を落としてしまったり・・・ということは、残念ながらあります。 これは妊娠・出産のもつ、自然なリスクで、どんなに医療が進歩しても人間が人間であるかぎり、0にはなりません。

そんなときは、医療上の処置や説明を妊婦さんや家族にして、最善を尽くしてきた・・・つもりでした。

あるとき、妊娠25週の胎児仮死で他の医療機関から妊婦さんが緊急搬送されてきました。 胎児の心拍がかなり落ちていたので、私は即座に帝王切開を決定。

まだ自分で呼吸もできない800グラム足らず足らずの未熟児でしたが、赤ちゃんは無事生まれてきて、その後、障害も残らずNICUを退院しました。医師の立場からすると、これは「成功」でした。

ところが、それから2年が経った頃。 その子は退院直後から繰り返し虐待を受けていて、両親は離婚し、家庭崩壊の状態になっていることを、ケースワーカーから知らされたのです。

「あのとき、赤ちゃんを助けたことは本当によかったのか」「もし、助からなかったら、誰もつらい思いをしなかったのではないか」……そんなことが頭をよぎりました。 それと同時に、「今まで死産や流産した人たちは、その後、どうなったのだろうか」とも思いました。

「命を救えば、それで全てOK」ではないことを、「無事な出産」だけがゴールではないことを、思い知らされたのです。

私たち医師は、もちろん無事な出産を目指さなくてはいけないけれど、両親にとって出産はゴールではなく、スタートです。そして、産むという結果よりも、「どういうお産をしたのか」、「生まれた赤ちゃんとどういう時間を過ごしたのか」という、時間やプロセスの方がもっと大切なのだということに気づきました。

これが「赤ちゃんの死」という視点に気づくきっかけとなりました。 もし命を救えなかったとき、母親や家族にどう接していけばいいのだろう…と、流産・死産のケアの文献や本を読みあさりました

(2009年10月から掲載)