胎児の命は誰のもの?

出生前診断の最大の問題–それは、ときとして命の選択に使われることです。

日本の法律「母体保護法」で中絶が認められているのは、レイプ被害による妊娠の場合と、身体的又は経済的理由により妊娠や分娩が母体の健康を著しく害するおそれがある場合、この2つに限られます。「胎児に重い障害があるから」という理由での中絶は、本来は認められていません。ですが、法律を拡大解釈して、「重い障害があると母体の健康を損ない、経済的に困窮するから」という理由付けで、中絶が行われているのが現状です。

他国の状況はというと、イギリスやフランス、スイスなど、ヨーロッパの多くの国では、出生前診断が積極的に行われています。たとえばイギリスでは、「母体血マーカーテスト」や「妊娠初期のNT検査」などが妊婦全員に国費で行われます。これらの検査で染色体異常のリスクが高いと判定された場合は、次に確実かどうかを調べる羊水検査が行われます。そして胎児が重い障害をもっているとわかった場合は、親の決断のもと、出産直前まで中絶することが認められています。驚くかもしれませんが、胎児への苦痛が少ない中絶法や、分娩前に確実に胎児の命を絶つ中絶法も普及しています。

なぜ、これほどまでに徹底しているのか。それは、障がい者へのサポート体制がとても充実している高福祉国家だから、ということと関係しています。福祉に大きな国家予算をかけているので、財政破綻しないよう、できるだけ障がい者を少なくするというのが国としての方針なのです。その代わり、生まれてきた障がい者には手厚い保障をします。一般市民によるボランティア活動や、教会など宗教組織によるサポートにも恵まれていて、社会全体で障がい者を支えようという、あたたかい雰囲気があります。

さて、ひるがえって、日本はどうでしょうか。日本は障がい者には冷たい国と言わざるを得ません。国や自治体のサポート体制だけでなく、社会全体の障がい者へのまなざしも、他人事でどこか冷たいものがあります。そうした中、障がい者福祉や日本の社会のあり方については何も議論が深まらないまま、出生前診断という「手段」だけが注目され普及していくことに、疑問を感じます。

また、胎児にはさまざまな病気や障がいがあるのに、ダウン症などの染色体異常ばかりが話題になります。それは、なぜか。今の技術で簡単に調べられるからです。

しかし、あと数年たてば、その他の病気や障がいについても、簡単にわかるようになるでしょう。遺伝子解析の検査が実用化すれば、簡単な血液検査で、将来どんな病気やガンにかかりやすいか、自閉症、ADHDなどの発達障害や、うつ病、統合失調症など精神疾患の因子となる遺伝子をもっているかどうかなど、胎児のあらゆることがわかるようになります。そのとき、私たちはどんな判断をするのでしょうか。

だれでも何らかの遺伝子変異や劣性遺伝子を、数個はもっているとされています。完璧な個体はありません。生きている誰もが、障がいを負ったり、重い病気になるリスクをもっています。なぜ、障がいをもつ胎児にだけ積極的に命の選択が行われるのか。障がいを持つ人たちの尊厳はどうなるのか。障がいと健常の境目は、どこにあるのか。生まれるべき命とそうでない命とを決める権限が、私たちにあるのかどうか――。

出生前診断は、社会のあり方や、人間の生きる意味まで、揺り動かしてしまう重大なもので、とても医療関係者だけで判断できるものではありません。哲学者や法律学者、宗教学者など専門家の見解も必要です。何よりも日本人のひとりひとりが考えて、国民全員で議論して、きちんとしたルールを作らなければいけないと思います。

(2012年11月から掲載)